大阪近鉄バファローズ
大阪近鉄バファローズ(おおさかきんてつバファローズ、Osaka Kintetsu Buffaloes)は、1949年から2004年まで存在した日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに加盟していた。大阪府を保護地域とし、府内大阪市西区にある大阪ドームを専用球場(本拠地)としていた。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は、かつて府内藤井寺市にあった近鉄藤井寺球場であった。
1999年3月までの球団名は近鉄バファローズで、地域密着を謳うために1999年4月1日付で上記球団名に改称された後も通称として使われていた。なお、運営法人の商号は株式会社大阪バファローズ、近畿日本鉄道株式会社の100%の連結対象子会社(額面500円)であった。
2004年、球団及び近鉄グループの経営難から、オリックス・ブルーウェーブの運営会社「オリックス野球クラブ」に営業譲渡し、大阪バファローズは2005年3月末をもって解散。職員の大半はオリックス野球クラブに、一部は楽天野球団に移り、選手は分配ドラフトによりオリックス・バファローズ(ブルーウェーブから改称)と東北楽天ゴールデンイーグルスに配分された。詳細はプロ野球再編問題 (2004年)を参照。オリックス・バファローズの球団史においては、大阪近鉄バファローズは傍系扱いとなるため、チームタイトルや個人賞などの各種記録については一切含まれない。
- 4度のリーグ優勝を果たすものの、日本シリーズ優勝は1度も果たすことができず、2004年のシーズン終了を以って55年間の歴史に終止符を打った。
- 球団愛称の正式表記は「バファローズ」であり、「バッファローズ」ではない(経緯に関しては後述)。
[編集] 球団の歴史
[編集] 黎明期
藤井寺球場(1軍は当初1983年までは準本拠地、1984年-1996年までメイン本拠地。1997-1999年まで再び準本拠地。2軍は創設当初から本拠地だった)
設立当初より低迷が続き、万年Bクラス・最下位の近鉄は「チカ鉄(近をチカと読ませ、地下鉄に掛けたもの。つまり地下に潜りっぱなしの低迷という意味)」「パ・リーグのお荷物」などと揶揄された。
[編集] 初優勝、熱パ
西本幸雄監督の元、リーグ初優勝をとげ、長かった低迷期を脱する。また仰木彬監督の就任後は毎年のように西武ライオンズとの激しいペナントレース争いとなり、野茂ブームもあいまって熱パの象徴と呼ばれるようになった。
- 1974年、チームの主砲であった土井正博を太平洋クラブライオンズにトレードする。
- 1975年、初めて優勝(ペナント2期制度での後期優勝)となる。プレーオフで阪急に敗れる。
- 1977年4月26日、ロッテ戦で鈴木啓示が200勝達成、近鉄入団の生え抜き選手としては唯一の名球会入り選手となった。
- 1979年、選手育成が実を結び西本幸雄監督の下で初のリーグ優勝。広島東洋カープとの日本シリーズでは、第7戦に9回裏の近鉄の攻撃が江夏の21球と呼ばれ、球史に残る名勝負となるが、3勝4敗で敗退する。
- 1980年、飛ぶボールの効果もあり、日本記録(当時)となるシーズンチーム本塁打239本を記録(但し被本塁打は251本)し、リーグ2連覇を成し遂げた。日本シリーズは前年に引き続き広島と対戦するが、この年も3勝4敗で日本一に輝くことは出来なかった。
- 1981年、西本幸雄が監督辞任、関口清治が監督就任。
- 1983年、関口清治が監督辞任、岡本伊三美が監督就任。
- 1984年、5月5日鈴木啓示が通算300勝を達成。鈴木は翌1985年現役に引退をする。
- 1986年、129試合目まで優勝争いをするものの、惜しくも2位。
- 1987年、前年ドラフト1位で獲得した阿波野秀幸が15勝を挙げ、新人王を獲得する活躍をみせるもののチームは最下位となる。岡本伊三美が監督辞任、仰木彬が監督就任。
- 1988年、前年までリーグ3連覇中の西武ライオンズと最後まで優勝争いを繰り広げる。
- 1989年、この年西武、オリックス・ブレーブスとの三つ巴による、前年を上回る優勝争いの末9年ぶりの優勝を果たす。
- 10月12日、西武の優勝がかかった試合(ダブルヘッダー)でブライアントが2試合で4打数連続本塁打の活躍をするなど連勝、この年のパリーグを象徴する試合となった。
- 10月14日、藤井寺球場でのダイエー戦に勝利、129試合目で優勝決定する。
- 日本シリーズでは読売ジャイアンツに3連勝後4連敗を喫し、日本一ならず。
- ドラフトでは8球団競合の抽選の上、野茂英雄を獲得する。
- 1990年、野茂英雄が最多勝、防御率など主な先発投手タイトルを獲得するなどの活躍を見せMVP、沢村賞を獲得、以降4年連続で最多勝を獲得するなど、野茂(ドクターK)ブームを巻き起こす。しかしチーム1992年まで当時黄金時代と言われた西武ライオンズと優勝争いはするもの、優勝できなかった。
- 1992年7月8日、新井宏昌が2000本安打を達成(近鉄在籍時代の打者としては唯一)。
- 1993年、鈴木啓示が監督に就任。しかし、野茂や吉井理人と言った主力選手との確執が続いた。
- 1994年、開幕の西武戦で赤堀元之が逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びる波瀾のスタートとなるが、途中球団新記録となる13連勝をしてこの年は2位に終わる。しかしこのオフ、野茂英雄が契約のこじれから退団、大リーグロサンゼルスドジャースに移籍する。詳しい経緯は「野茂英雄#近鉄退団に関して」を参照。
- 1995年は上位争いに加わることなく、鈴木啓示も途中休養するなどチームは低迷、9年ぶりの最下位になる。佐々木恭介が監督に就任する。ドラフトでは福留孝介を1位指名するものの入団拒否される。
[編集] 大阪ドーム時代・終焉
大阪ドーム移転するも、選手の年俸が高騰、1998年以降は観客動員数も増えなかった事もあり年間赤字が年々膨れ上がっていった。
[編集] 球団愛称
- 創設時の愛称・パールス(Pearls)は、近鉄沿線の伊勢志摩の特産品である真珠にちなんだもの。現在でも「プロ野球史上最も弱々しい球団愛称」などという声が少なくない。
- パールスに代わる新しい球団愛称を公募したところ、1番多かったのが「猛牛」と呼ばれた新監督・千葉茂にちなんだバッファローズだった。ところが当時の球団幹部が「『バッファローズ』では表記が長すぎる」と言ったため、2文字減らしてバファロー(Buffalo)になった。千葉辞任後に「これからは監督だけが猛牛になるのではなく、チーム全員が猛牛にならなければならない」という理由でバファローズ(Buffaloes)となった。
[編集] シンボルマーク・マスコット
- 球団のシンボルマーク「猛牛マーク」(なお球団広報物では「ツノマーク」と表記)は千葉茂が監督に就任した1959年に、「バファロー」の新チーム名称に合わせて千葉の親友であった岡本太郎がデザイン。千葉の述懐に依ると銀座のバーで、デザイン料10万円で依頼したと言う。以降球団が解散する2004年まで、球団旗やユニフォームなどで使われ続けた。日本一に輝いた時に姿を公開することとなっていた「猛牛マーク」を横から見たような「サブマーク」が有ったが、公開されず球団と共に消えた。西武鉄道系のようにグループのバスやタクシーなどに猛牛マークを入れる例は少なく、運送会社である近鉄物流の車両や伝票に見られた程度であった。
- 大阪ドーム移転前(1976年~1996年)のマスコットはユニフォームを着た少年「バッファくん」(近鉄の野球帽・ユニフォームを着、バットとグラブを持ち片足を上げた少年)。初期のデザインではバットを握った右手の指本数が1本足りなかったが、後に改作された。一応着ぐるみも作成され、ファン感などでも登場してはいたが今一つファンの脳裏には残っていない様である。ちなみにこのマスコットに似ているということで、中村紀洋の愛称になったこともある。なお、バッファくん登場前には鼻息をふかして突進する姿の猛牛のマスコットを使用しており( - 1975年)、1975年後期優勝の記念乗車券券面には西本幸雄監督の顔と伴に印刷されている。
- 球団マスコットは牛がモチーフ。大阪ドームへの本拠地移転後、以下のキャラクターが登場。キャラクターデザインはアニメ「トムとジェリー」などを手掛けたアメリカのハンナ・バーベラ・プロダクションによるものである。なお、バフィリードだけは公募に依り命名された。
- キャラクター着ぐるみ作成及び担当は明石家まんまや朝おき太等を手がけた株式会社リップ。
- バフィリード(バフィ) - 背番号100、主人公。
- ファルルリーナ(ファルル) - 背番号200、女の子のキャラクター。2000年以降ユニフォーム姿(ワンピースにベルト)に変更。
- 他にバルバロック(バル)(男性)とカペロット(カペロ)(子供)の2人がいたが、いずれも2000年シーズンをもって登場が打ち切られた。
- 球団合併により、各キャラクターも引退したが、バフィリードだけはオリックス本社に商標権が譲渡された。他キャラに尽いては近鉄本社が更新期限まで所有する状態となっている。
[編集] ユニフォームの変遷
- 1950年~1952年 球団創設期のユニフォームはホーム用が「Pearls」でビジター用はブルーで「KINTETU」(1952年限り)。ゴシック体の「KINTETU」は1957年まで使用される。
- 1953年 左胸に「Pearls」と書かれた、サンフランシスコ・シールズを参考にしたユニフォームが登場。同時に縦縞となり、球団名がバファローとなった1959年まで使用。
- 1954年~1958年 左胸に「P」1文字の、フィラデルフィア・フィリーズを参考にしたデザイン。1958年には帽子のツバ、アンダーシャツ、ストッキングが赤くなる(途中から従来の物も使用)。1958年からビジター用ロゴが飾り文字に変更。
- 1959年 千葉監督就任と同時に球団名をバファローに変更。ホーム用は「Buffalo」に変更されたが基本デザインは従来どおり。ビジター用は背番号の書体を変更。
- 1960年~1961年 縦縞を廃止。チームカラーを黒と黄色に変更。ビジター用の左袖が近鉄の社章から猛牛マークに変更される。
- 1962年~1965年 球団名がバファローズとなり、ロゴが「BUFFALOES」に変更。袖番号が付けられる。1965年からラインを黒に変更し、番号が胸に移動。
- 1966年~1973年 ロサンゼルス・ドジャースを参考にしたユニフォームに変更。同時にロゴも筆記体の「Buffaloes」に変更(藤井寺時代最後の1996年まで)。
- 1974年~1996年 西本幸雄監督就任時より、ニット式のベルトレスユニフォームが登場。袖部分のラグランスリーブが赤となり、首と袖に白ラインが入り、丸首プルオーバースタイルとなる。左袖には、炎と猛牛を組み合わせたマークが入る。
- 1977年より 左袖のマークが猛牛マークになり、デサント社が開発した快適性、軽量化を図ったメッシュ素材の上着を、野球のユニフォームとしては世界で始めて採用する。
- 1978年より 番号の上に選手名が入り、ベルトレスからベルト式になる。
- 1978年後期より、帽子の地色が赤、前面が白、白部分のサイドに紺のラインが入り、紺色の「KINTETSU BUFFALOES」のロゴ、猛牛マークが入る三色帽に変わる。
- 1979年、1980年、1989年の3度のリーグ優勝を果たしたゲンのいいユニフォームで、マイナーチェンジを繰り返しながら、23年の長きに渡り使用された。
- 1997年~2004年 大阪ドーム移転を機にフルモデルチェンジ。デザインはコシノヒロコが手掛ける。同時に球団カラーを「バファローズホワイト」、「バファローズオレンジ」、「バファローズネイビー」、「バファローズレッド」の4色と設定。デザインはそれに基づかれた。
- 1999年より、球団名が大阪近鉄バファローズとなり、ビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後のユニフォームとなった。また左袖には50周年記念のバフィーワッペンが入っていた。
- ビジター用は当初紺と赤の2種類があり、金曜日から月曜日は紺、火曜日から木曜日では赤と使い分けられていたが、2000年以降は紺のみとなった(使い分けに関しては当初「ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度の偏りを避けるために上記のようになった)。
- 実は当初、ビジター用上着のデザインは赤だけであった(これはデザインを担当したコシノヒロコが、事前にバファローズのイメージカラーを調査したところ、「赤」という意見が大半を占めたため)。しかし、いざ完成してみると、当時の佐々木監督や選手たちから「東芝のユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」などと異論が続出し、選手たちがユニフォーム変更を拒絶しかける事態となった。その沈静化を図るため急遽紺が追加された。その後もファン感謝デーでこのユニフォームが初お披露目された際、ファンから「台湾プロ野球(のユニフォーム)だ」などと酷評され、優勝するまではこのユニフォームの評判は良くなかった。
[編集] チームの特徴
- 1990年代以前は外様監督が多く、仰木彬以前の生え抜き監督はプロ経験のない藤田省三と芥田武夫を除くと、加藤久幸と小玉明利の2人しかいなかった。仰木以降は鈴木啓示・佐々木恭介・梨田昌孝と生え抜き監督が続いたが、球団消滅により梨田が近鉄最後の監督となった。監督は「基本的に若手中心で」(補強はしない)というのを毎年命じられていた。
- 打線は「いてまえ打線」(大阪弁。共通語で「やってしまえ」の意)と呼ばれ、特にリーグ優勝した2001年にはチーム防御率4.98とリーグ最下位ながらチーム打率.280、チーム本塁打数211と他チームを圧倒し優勝をさらった。この年は3番のタフィ・ローズと4番の中村紀洋だけで101本、3~7番では実に165本もの本塁打を叩き出し話題となった。ローズが本塁打王(55本)、中村が打点王(132打点)、主に5番に入ることが多かった礒部公一は得点圏打率1位(.417)の成績を残している。この年阪神監督・野村克也が自チームの貧打線に対し「(バックに)いてまえ打線があったら(グレッグ・ハンセルは)20勝している」というコメントを残したのも有名。1980年には前述のようにシーズン239本塁打の日本記録を打ち出すなど、本塁打の魅力をどこよりも認識させた球団であった。
- 野茂英雄、吉井理人、大塚晶則、中村紀洋など、多くの大リーガーを輩出している。
- 1970年前後に日生球場のナイター使用がプロ野球機構で問題になり、近鉄沿線の三重県や愛知県へのフランチャイズ移転も検討されたが、愛知県は中日ドラゴンズの保護地域であるため許可を得られず断念した(但し名古屋での公式戦は地方開催扱いで1999年まで行われていたが、これは近鉄の営業圏内であった事と、中京にパ球団を持たないリーグ事情も勘案されていた)。1973年に藤井寺球場のナイター工事が着手されたが、地元の反対で完成は11年後の1984年にずれこんだ。
- 日本一を経験していない球団では、最長の期間存続した。身売りの多いパ・リーグ球団としては、唯一親会社が変わらないまま歴史に幕を閉じた。
- 2004年9月、北海道で行われた世界ラリー選手権(WRC)、ラリージャパンに、「チームバファローズ コットンファクトリー」としてプジョー・206で参戦したが、リタイヤした。当時の監督・梨田昌孝がプジョーを愛車としていたことが縁であった。
- 最下位になったことが非常に多いチームであり、1950年の2リーグ分立以降では19回と、消滅したチームも含めて両リーグトップである。
- 伝統的に速球派投手に強く、技巧派投手に弱い傾向にある。代表例の一人が松坂大輔で、松坂は日本での8年間で近鉄に対し11勝15敗で防御率も最も悪く、球団別の成績で唯一近鉄にのみ負け越している。逆に、近鉄が苦手としていた投手に星野伸之や星野順治などの変化球投手が多く見られる。1989年の日本シリーズでも3連勝で迎えた第4戦で香田勲男に完封をされてシリーズの流れが変わってしまった。
- 近鉄在籍経験選手による日本シリーズのMVP獲得は、近鉄が日本一を経験しなかったので、長い間輩出されなかったが、2007年の日本シリーズで中村紀洋が中日で初めて達成した。
- プロ野球に理解のないフロントの体質に関しては、不満を持つ選手も多かった。野茂英雄は、先発日に藤井寺球場の駐車場に車を止めたところ、近鉄本社の人間が来るので車を動かすことを要求されたり、契約更改の席で「熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われたこともある。佐々木恭介は、入団後初めてグランドに集まった際、フロントの訓示で「お前達野球クラブの選手は」と言われ、頭に血が上ったと述懐している。「ドン・マネー事件」での外国人選手に対する待遇のみならず、監督に三原が就任する以前、近鉄選手の移動は列車では当時の二等車(後の普通車)のみ(西鉄等は一等車、後のグリーン車を既に利用していた)だったことからも、選手に対する待遇の悪さは伝統的なことであったといえる。
[編集] 応援スタイル
- 球団解散時には「暴れん坊将軍」のオープニングテーマを原曲とするI(1995年~)、タオルマフラーを持って踊るII(2000年~)、2種類の歌詞があるIII(2001年~)、ビハインドの場面で使われるIV(2002年~)、ビッグイニングの時に使われるV(2003年~)と5種類のチャンステーマが存在。III以降は「踊る牛」「笑う牛」(以上III)「紅の丑」(IV)「パニ牛」(V)とタイトルもついていた(代打のテーマにも「働く牛」というタイトルがついている)。IIはオリックスファンからも「ぜひ残して欲しい」という声が多かったため、球団合併後も引き続き使われており、「紅の丑」と合わせて高校野球の応援歌として耳にすることもある。
- チャンス時のテーマ、三三七に長らく8時だョ!全員集合のオープニングテーマを使用していた。
- 藤井寺球場でのホームゲームの場合、周囲が住宅地であったため鳴り物入りの応援が禁止されており、メガホンと声だけの応援スタイルを取った。
[編集] 球団名変遷と年度別成績
※銀地はリーグ優勝、順位の欄は左の数字が順位、右の数字はリーグ所属球団数。
| 年度 |
監督 |
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
打率 |
防御率 |
本塁打 |
| 近鉄パールス |
| 1950年 |
藤田省三 |
7/7 |
120 |
44 |
72 |
4 |
.379 |
37.5 |
.242 |
3.85 |
86 |
| 1951年 |
藤田省三 |
7/7 |
98 |
37 |
56 |
5 |
.398 |
33.5 |
.223 |
3.13 |
37 |
| 1952年 |
藤田省三
芥田武夫(注1) |
7/7 |
108 |
30 |
78 |
0 |
.278 |
40.0 |
.243 |
4.06 |
37 |
| 1953年 |
芥田武夫 |
7/7 |
120 |
48 |
69 |
3 |
.410 |
22.0 |
.246 |
2.93 |
31 |
| 1954年 |
芥田武夫 |
4/8 |
140 |
74 |
63 |
3 |
.540 |
16.0 |
.247 |
2.66 |
23 |
| 1955年 |
芥田武夫 |
5/8 |
142 |
60 |
80 |
2 |
.429 |
39.0 |
.252 |
3.45 |
35 |
| 1956年 |
芥田武夫 |
5/8 |
154 |
68 |
82 |
4 |
.455(注2) |
29.5 |
.226 |
3.17 |
48 |
| 1957年 |
芥田武夫
加藤春雄(注3) |
6/7 |
132 |
44 |
82 |
6 |
.356(注2) |
38.5 |
.225 |
3.22 |
35 |
| 1958年 |
加藤久幸(注4) |
6/6 |
130 |
29 |
97 |
4 |
.238(注2) |
49.5 |
.215 |
4.04 |
41 |
| 近鉄バファロー |
| 1959年 |
千葉茂
林義一(注5) |
6/6 |
133 |
39 |
91 |
3 |
.300 |
49.0 |
.229 |
3.68 |
48 |
| 1960年 |
千葉茂 |
6/6 |
131 |
43 |
87 |
1 |
.331 |
39.0 |
.236 |
3.61 |
69 |
| 1961年 |
千葉茂 |
6/6 |
140 |
36 |
103 |
1 |
.261(注2) |
51.5 |
.229 |
3.96 |
68 |
| 近鉄バファローズ |
| 1962年 |
別当薫 |
6/6 |
131 |
57 |
73 |
1 |
.438 |
21.0 |
.252 |
3.40 |
70 |
| 1963年 |
別当薫 |
4/6 |
150 |
74 |
73 |
3 |
.503 |
12.5 |
.256 |
3.44 |
98 |
| 1964年 |
別当薫 |
6/6 |
150 |
55 |
91 |
4 |
.377 |
28.5 |
.254 |
3.63 |
112 |
| 1965年 |
岩本義行 |
6/6 |
140 |
46 |
92 |
2 |
.333 |
42.5 |
.235 |
3.61 |
91 |
| 1966年 |
岩本義行 |
6/6 |
133 |
48 |
82 |
3 |
.369 |
31.0 |
.228 |
3.60 |
100 |
| 1967年 |
小玉明利 |
6/6 |
132 |
59 |
71 |
2 |
.454 |
16.0 |
.251 |
3.83 |
104 |
| 1968年 |
三原脩 |
4/6 |
135 |
57 |
73 |
5 |
.438 |
23.0 |
.234 |
3.28 |
84 |
| 1969年 |
三原脩 |
2/6 |
130 |
73 |
51 |
6 |
.589 |
2.0 |
.243 |
2.78 |
118 |
| 1970年 |
三原脩 |
3/6 |
130 |
65 |
59 |
6 |
.524 |
13.5 |
.233 |
2.98 |
108 |
| 1971年 |
岩本堯 |
3/6 |
130 |
65 |
60 |
5 |
.520 |
18.0 |
.241 |
3.21 |
151 |
| 1972年 |
岩本堯 |
2/6 |
130 |
64 |
60 |
6 |
.516 |
14.0 |
.248 |
3.07 |
123 |
| 1973年 |
岩本堯
島田光二(注6) |
6/6 |
130 |
42 |
83 |
5 |
.336 |
6・6(注7) |
.237 |
3.83 |
113 |
| 1974年 |
西本幸雄 |
5/6 |
130 |
56 |
66 |
8 |
.459 |
5・4(注7) |
.230 |
3.63 |
131 |
| 1975年 |
西本幸雄 |
2/6(注8) |
130 |
71 |
50 |
9 |
.587 |
3・1(注7) |
.246 |
3.09 |
115 |
| 1976年 |
西本幸雄 |
4/6 |
130 |
57 |
66 |
7 |
.463 |
5・4(注7) |
.245 |
3.04 |
102 |
| 1977年 |
西本幸雄 |
4/6 |
130 |
59 |
61 |
10 |
.492 |
3・6(注7) |
.245 |
3.31 |
92 |
| 1978年 |
西本幸雄 |
2/6 |
130 |
71 |
46 |
13 |
.607 |
2・2(注7) |
.266 |
3.21 |
115 |
| 1979年 |
西本幸雄 |
1/6(注8) |
130 |
74 |
45 |
11 |
.622 |
1・2(注7) |
.285 |
3.70 |
195 |
| 1980年 |
西本幸雄 |
1/6(注8) |
130 |
68 |
54 |
8 |
.557 |
2・1(注7) |
.290 |
4.96 |
239 |
| 1981年 |
西本幸雄 |
6/6 |
130 |
54 |
72 |
4 |
.429 |
6・4(注7) |
.253 |
4.10 |
149 |
| 1982年 |
関口清治 |
3/6 |
130 |
63 |
57 |
10 |
.525 |
3・2(注7) |
.258 |
4.11 |
151 |
| 1983年 |
関口清治 |
4/6 |
130 |
52 |
65 |
13 |
.444 |
29.5 |
.262 |
4.49 |
134 |
| 1984年 |
岡本伊三美 |
4/6 |
130 |
58 |
61 |
11 |
.487 |
16.5 |
.257 |
4.36 |
174 |
| 1985年 |
岡本伊三美 |
3/6 |
130 |
63 |
60 |
7 |
.512 |
15.5 |
.272 |
5.10 |
212 |
| 1986年 |
岡本伊三美 |
2/6 |
130 |
66 |
52 |
12 |
.559 |
2.5 |
.271 |
4.34 |
183 |
| 1987年 |
岡本伊三美 |
6/6 |
130 |
52 |
69 |
9 |
.430 |
21.5 |
.270 |
4.22 |
135 |
| 1988年 |
仰木彬 |
2/6 |
130 |
74 |
52 |
4 |
.587 |
0.0 |
.253 |
3.23 |
154 |
| 1989年 |
仰木彬 |
1/6 |
130 |
71 |
54 |
5 |
.568 |
0.0(注9) |
.261 |
3.86 |
157 |
| 1990年 |
仰木彬 |
3/6 |
130 |
67 |
60 |
3 |
.528 |
14.5 |
.275 |
4.34 |
181 |
| 1991年 |
仰木彬 |
2/6 |
130 |
77 |
48 |
5 |
.616 |
4.5 |
.265 |
3.46 |
157 |
| 1992年 |
仰木彬 |
2/6 |
130 |
74 |
50 |
6 |
.597 |
4.5 |
.247 |
3.69 |
155 |
| 1993年 |
鈴木啓示 |
4/6 |
130 |
66 |
59 |
5 |
.528 |
7.0 |
.258 |
3.62 |
145 |
| 1994年 |
鈴木啓示 |
2/6 |
130 |
68 |
59 |
3 |
.535 |
7.5 |
.274 |
4.24 |
169 |
| 1995年 |
鈴木啓示
水谷実雄(注10) |
6/6 |
130 |
49 |
78 |
3 |
.386 |
32.0 |
.234 |
3.97 |
105 |
| 1996年 |
佐々木恭介 |
4/6 |
130 |
62 |
67 |
1 |
.481 |
14.5 |
.255 |
4.01 |
146 |
| 1997年 |
佐々木恭介 |
3/6 |
135 |
68 |
63 |
4 |
.519 |
7.5 |
.274 |
3.79 |
112 |
| 1998年 |
佐々木恭介 |
5/6 |
135 |
66 |
67 |
2 |
.496 |
5.0 |
.267 |
4.28 |
126 |
| 大阪近鉄バファローズ |
| 1999年 |
佐々木恭介 |
6/6 |
135 |
54 |
77 |
4 |
.412 |
23.5 |
.257 |
4.54 |
151 |
| 2000年 |
梨田昌孝 |
6/6 |
135 |
58 |
75 |
2 |
.436 |
15.0 |
.262 |
4.66 |
125 |
| 2001年 |
梨田昌孝 |
1/6 |
140 |
78 |
60 |
2 |
.565 |
2.5(注9) |
.280 |
4.98 |
211 |
| 2002年 |
梨田昌孝
真弓明信(注11) |
2/6 |
140 |
73 |
65 |
2 |
.529 |
16.5 |
.258 |
3.93 |
177 |
| 2003年 |
梨田昌孝 |
3/6 |
140 |
74 |
64 |
2 |
.536 |
8.5 |
.274 |
4.30 |
187 |
| 2004年 |
梨田昌孝 |
5/6 |
133 |
61 |
70 |
2 |
.466 |
17.0(注12) |
.269 |
4.46 |
121 |
- 注1 開幕から9月16日まで藤田、9月24日から閉幕まで芥田
- 注2 引分は0.5勝0.5敗で計算
- 注3 開幕から6月20日まで芥田、6月22日から閉幕まで加藤(代行)
- 注4 加藤春雄から改名
- 注5 開幕から6月18日まで千葉、6月20日から閉幕まで林(代行)
- 注6 開幕から9月26日まで岩本、9月28日から閉幕まで島田(代行)
- 注7 前後期制のため、前期順位・後期順位の順で表示
- 注8 ポストシーズン成績を参照
- 注9 2位とのゲーム差
- 注10 開幕から8月8日まで鈴木、8月9日から閉幕まで水谷(代行)
- 注11 開幕から8月14日まで・8月17日から閉幕まで梨田、8月16日のみ真弓(代行)
- 注12 レギュラーシーズン1位とのゲーム差
[編集] ポストシーズン成績
| 年度 |
試合名 |
成績 |
対戦相手 |
| 1975年 |
プレーオフ |
○●●● |
阪急 |
| 1979年 |
プレーオフ |
○○○ |
阪急 |
| 日本シリーズ |
○○●●●○● |
広島 |
| 1980年 |
プレーオフ |
○○○ |
ロッテ |
| 日本シリーズ |
○○●●○●● |
広島 |
| 1989年 |
日本シリーズ |
○○○●●●● |
巨人 |
| 2001年 |
日本シリーズ |
●○●●● |
ヤクルト |
[編集] タイトルホルダー
[編集] 最優秀選手
[編集] 最優秀新人
[編集] 首位打者
[編集] 本塁打王
[編集] 打点王
[編集] 盗塁王
[編集] 最多安打
タイトル制定(1994年)以後の該当者無し。 タイトル制定以前のリーグ最多安打打者は以下の通り。
- 土井正博(1964、1967)
- 永淵洋三(1969)
- 新井宏昌(1987)
- ジム・トレーバー(1990)
- 石井浩郎(1993)
[編集] 最高出塁率
- ジャック・ブルーム(1963)
- 小川亨(1975)
- 佐々木恭介(1978)
- 栗橋茂(1980)
- 中村紀洋(2001)
※1981年制定、1989年から廃止
[編集] 最多勝利
[編集] 最優秀防御率
- 久保征弘(1963)
- 清俊彦(1972)
- 鈴木啓示(1978)
- 山口哲治(1979)
- 野茂英雄(1990)
- 赤堀元之(1992)
[編集] 最多奪三振
タイトル制定(1989年)以後の該当者は以下の通り。
- 阿波野秀幸(1989)
- 野茂英雄(1990-1993)
- ジェレミー・パウエル(2002)
タイトル制定以前の該当者は以下の通り。
- 鈴木啓示(1967-1972、1974、1978)
- 阿波野秀幸(1987)
※2001年をもって廃止され、翌年からは最優秀投手となった。
- ジェレミー・パウエル(2002)
- 岩隈久志(2004)
※1974年に最多セーブとして制定、1977年よりセーブポイントで表彰する最優秀救援投手に変更。球団消滅後の2005年より最多セーブ投手に。
- 石本貴昭(1985-1986)
- 吉井理人(1988)
- 赤堀元之(1992-1994、1996-1997)
- 大塚晶文(1998)
なお、表彰タイトルではなかったので参考だが1974年以降リーグ最多セーブ投手になったのは以下の選手。
- 鈴木康二朗(1984-1985)
- 石本貴昭(1986)
- 赤堀元之(1992-1994)
- 大塚晶文(1998)
※1996年に中継ぎ投手の評価法としてホールドを導入、タイトルとして制定。2002年より最優秀中継ぎ投手に変更。
タイトル制定以後の該当者無し。
[編集] 沢村賞
[編集] 正力松太郎賞
[編集] ベストナイン
- 小玉明利(三塁手:1960、1962-1965)
- ジャック・ブルーム(二塁手:1962-1963)
- 高木喬(一塁手:1965)
- 土井正博(外野手:1967-1968)
- 鈴木啓示(投手:1969、1975、1978)
- 永淵洋三(外野手:1969)
- クラレンス・ジョーンズ(一塁手:1974)
- 佐々木恭介(外野手:1975、1978)
- 石渡茂(遊撃手:1977、1979)
- 梨田昌孝(捕手:1979-1981)
- 栗橋茂(外野手:1979-1980、1982)
- チャーリー・マニエル(指名打者:1979-1980)
- 大石大二郎(二塁手:1983-1984、1990)
- リチャード・デービス(一塁手:1985)
- 新井宏昌(外野手:1986-1987)
- 阿波野秀幸(投手:1989)
- 山下和彦(捕手:1989)
- ラルフ・ブライアント(外野手:1989、指名打者:1993-1994)
- 野茂英雄(投手:1990)
- ジム・トレーバー(一塁手:1991)
- 石井浩郎(一塁手:1993-1994)
- 中村紀洋(三塁手:1996、1999-2002)
- フィル・クラーク(一塁手:1997-1998、指名打者:1999)
- タフィ・ローズ(外野手:1997、1999、2001-2003)
- 大村直之(外野手:1998)
- 礒部公一(外野手:2001)
- ジェレミー・パウエル(投手:2002)
- 岩隈久志(投手:2004)
※1972-1985年はダイヤモンドグラブ賞
- 有田修三(捕手:1975-1976)
- 梨田昌孝(捕手:1979-1981、1983)
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