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ワルシャワワルシャワ(Warszawa;ヴァルシャヴァ)は、ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市。マゾフシェ県の県都。中央ヨーロッパの政治、経済、交通の要衝でもある。ヴィスワ川の中流、マゾフシェ地方に位置し、市内をヴィスワ川が貫通する。第2次世界大戦後、戦火で荒廃したが、「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した1980年にユネスコによって「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。 製造業、鉄鋼業、電機産業、自動車産業などの工業都市であり、ワルシャワ大学を初めとするポーランド有数の高等教育機関が集中し、オペラ座やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団を有する文化都市でもある。
[編集] 歴史
ワルシャワについての最古の文書は13世紀、1285年のものである。当時のワルシャワはマゾフシェ公爵領に属し、漁業を中心とする寒村であった。マゾフシェ公爵家の家系の断絶に伴い、マゾフシェ地方はポーランド王国に編入された。1596年、ジグムント3世による野心的な政策によってポーランド王宮廷は古都クラクフより移転し、ワルシャワは1611年に正式にポーランドの首都となり、以来、「北のパリ」として発展を遂げる。 1795年の第三次ポーランド分割でプロイセン領に組み込まれた。1807年、プロイセンを征服したフランスのナポレオンが、ティルジット条約によってワルシャワ公国を建てるが、ナポレオン失脚にともなうウィーン会議で、多くのワルシャワ公国の地域はポーランド王国(ポーランド立憲王国)とすることが確認され、ロシア皇帝アレクサンドル1世がポーランド国王の座につくことになった。 独立を喪失してから、ワルシャワは幾度となく民族運動の中心地となった。1830年には、フランス七月革命の影響もあり、十一月蜂起(ワルシャワ蜂起)が起こったが、翌年までに無惨に鎮圧された。1815年に成立したポーランド王国(ポーランド立憲王国)では、自由主義的な憲法が規定されていたが、その多くはこれを機に形骸化された。1860年代前半にも民族運動が高揚し(一月蜂起)、一時はワルシャワにポーランド人の臨時政府も成立したが、再びロシアによって鎮圧された。当時のロシア皇帝は開明的なアレクサンドル2世であったが、この事件を受けてポーランドに対してはロシアへの同化政策を図るようになる。 ポーランドを占領していたドイツ、オーストリアは第一次世界大戦で敗戦国となった。また、第一次世界大戦中に社会主義革命が起こったロシアでは、ソヴィエト政権が成立していた。敗戦国に対して制裁的で、社会主義への強い警戒を抱いていたパリ講和会議において、ポーランドの独立が承認され、ワルシャワは独立を回復させた。ポーランドが独立を取り戻したのち、ワルシャワは再びポーランドの首都と定められた。しかし、1939年にナチス・ドイツがポーランドへ侵攻、政府は降伏を余儀なくされ、ワルシャワはナチス・ドイツの占領下におかれた。市内居住のユダヤ人はワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)へ集められ、1942年の移送と1943年4月19日に親衛隊少将ユルゲン・シュトロープによるゲットー解体で、国内の絶滅収容所に送られた(→ワルシャワ・ゲットー蜂起)。1944年8月1日、占領軍に対しワルシャワ市民が一斉蜂起(ワルシャワ蜂起)を起こしたが63日間にわたる戦闘の末鎮圧され、殆どの建物が破壊されてしまった。 現在ワルシャワ東部にある旧市街(Stare Miasto)は、市民によって「壁のひび一本に至るまで」忠実に再現されたものである。この旧市街は1980年、ユネスコの世界遺産に登録された。 [編集] 地理ワルシャワは中央マゾフシェ低地にあり、平均海抜はおよそ100mである。市内にはいくつかの丘があるがその多くは人工的に築かれたものである。ヴィスワ川の中流に位置し、市域はその両岸に広がっている。カルパート山脈やバルト海からの距離はおよそ350km。 [編集] 気候ワルシャワは大陸性の湿潤気候である。バルト海沿岸地方が海洋性気候であるため、大陸性気候と海洋性気候の境目にあるワルシャワは比較的気候が安定しない。平均気温は8℃(1月の平均気温はマイナス2.4℃、7月が18.4℃)。年間降水量は680mm以下で、最も雨が降るのは7月である。 [編集] 経済[編集] 文化[編集] 交通機関[編集] 空港ワルシャワには中心部からおよそ10kmのところに「ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港」がある。年間利用者数は約450万人、国内便・国際便あわせて一日に60便以上が運行している、ポーランドで最大の空港である。日本からの直行便は今のところなく、フランスなど近隣の国に寄ってからポーランド入りすることになる。 現在ワルシャワに2つ目の空港を建設することが検討されていて、おそらくワルシャワの北または西にある軍の空港を改築して設置されるものとみられる。 [編集] 鉄道ワルシャワで最初の鉄道は「ワルシャワ・ウィーン鉄道」で、1849年に開通した。現在ワルシャワはポーランドの重要な鉄道交通の要衝のひとつである。運賃が安く、またダイヤもわりと正確なため、PKP(Polskie Koleje Państwowe、ポーランド国有鉄道)は主要な交通手段となっている。 ワルシャワにある鉄道駅の中で、最も重要なのは「ワルシャワ中央駅」である。ポーランド国内のほとんどすべての都市や多くのヨーロッパの大都市と連絡している。ワルシャワには他に4つの主要駅と数十もの小さな駅がある。
3つの主要駅(ワルシャワ中央、ワルシャワ西、ワルシャワ東)をつなぐ路線は戦後に開通し、市の中心部では地下を通って運行している。1960年代には、この路線を地下鉄の路線に切り替えようという計画もあった。 [編集] 市内交通機関ワルシャワ市内の交通機関は、タクシー、バス、トラム、地下鉄で、すべてワルシャワ市交通局によって統制されている。郊外では、民間業者によって経営されている路線もおおい。 [編集] バスワルシャワのバス路線は総延長およそ2600kmで、1659台のバスが運行している。主要なターミナルは、ワルシャワの交通の中心地でもあるワルシャワ中央駅前。市交通局は現在176本の路線でバスを運行しており、そのうちの14本は深夜運行(0時~朝5時)を行っている。なお、ワルシャワ・オケンチェ空港から市中心部に行くバスもある。 [編集] トラムワルシャワで最初のトラム路線は、1866年12月11日に開通した。当時は馬が客車を引くスタイルだった。1908年3月26日には、馬引きトラムの路線はすべて電化された。両大戦期間中にはトラムは国有化されて新たな路線も多く建設されたが、第二次世界大戦で破壊されてしまった。戦後、一部が再建されたが、大部分は廃止された。 現在ワルシャワ・トラムヴァイ社は車両863台と約470kmにおよぶ路線を所有している。 29の路線がワルシャワ市内を運行しており、うち1本が深夜営業をしている。主要な休日(例えば11月1日の諸聖人の日など)のさいに特別運行している路線もある。 [編集] 地下鉄現在運行しているのは「1号線」で、ワルシャワの南北を縦断するように走っている。他にも2号線、3号線の計画がある。 1995年4月7日に最初の路線の、カバティ駅(Kabaty)からポリテフニカ駅(Politechnika)の区間が開通した。2005年4月の時点で、市の中心部を抜けて旧市街近くを通り、ヴィルソナ広場駅(Plac Wilsona)が北端となっているが、さらに2007年に向けてムウォチヌィ駅(Młociny)までの延伸工事がなされている。南端のカバティ駅から北端のヴィルソナ広場駅まで、約27分で結ぶ。 [編集] 主なランドマーク
[編集] ワルシャワに縁のある著名人
[編集] 姉妹都市[編集] ギャラリー[編集] 関連項目[編集] 外部リンク
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