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ジンバブエ
ジンバブエ共和国(ジンバブエきょうわこく)、通称ジンバブエは、アフリカ南部の国。首都はハラレ。アフリカ大陸の内陸部に位置し、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカに隣接する。イギリス連邦の元加盟国。
[編集] 国名正式名称は英語で Republic of Zimbabwe(リパブリック・オブ・ジンバブエ)。通称、Zimbabwe(ジンバブエ)。日本語の表記は、ジンバブエ共和国。通称、ジンバブエ。 国名は、ショナ語で「石の館(家)」を意味し、ジンバブエ国内にあるグレート・ジンバブエ遺跡に由来する。かつては南ローデシアと呼ばれていた。 [編集] 歴史[編集] 古代12世紀頃、リンポポ川中流域にマプングヴエ王国が成立し、次いで13世紀〜14世紀中には、グレート・ジンバブエと呼ばれている王国が栄えた。グレートジンバブエの遺構からは、中国製陶器が見つかっており、かなり大規模な交易を行っていたようである。15世紀頃、グレートジンバブエは放棄され、代わってザンベジ川中流域にモノモタパ王国、現ブラワヨ周辺のカミ遺跡を首都としてトルワ王国が興り、覇権を握った。 [編集] 植民地状態16世紀〜17世紀にかけて、ポルトガル人の侵入に苦しむが、撃退。地方首長国の分立状態となる。19世紀後半に南アフリカ会社に統治された後、第一次世界大戦後にイギリスの植民地に組み込まれ、イギリス領南ローデシアとなる(ローデシアは「ローズの家」の意。南アフリカ会社設立者にしてケープ植民地首相のセシル・ローズの名からとられている)。 [編集] 独立1960年代から黒人による独立運動が行われていたが、民族自立までの道のりは険しく、1965年には、世界中から非難を浴びる中、植民地政府首相イアン・スミスによって白人中心のローデシア共和国が独立を宣言し、人種差別政策を推し進めた。これに対して黒人側も、スミス政権打倒と黒人国家の樹立を目指してゲリラ戦を展開するが、イギリスの調停により、100議席中、20議席を白人の固定枠とする事で合意、ローデシア紛争は終結した。1980年の総選挙の結果、ジンバブエ共和国が成立し、カナーン・バナナが初代大統領に、そしてロバート・ムガベが初代首相に就任した。1987年からは大統領が儀礼的存在である議院内閣制を廃し大統領制に移行し、首相職も廃止。ムガベが大統領に就任した。2008年8月現在も引き続きムガベが権力を握りつづけている。 [編集] コンゴへの派兵1999年コンゴのカビラ大統領と親交していたムガベ大統領は内戦が起きたコンゴに約1万人の軍を派兵した。カビラ大統領を支えるためだが、真の目的はコンゴにあるムガベ一族が所有するダイヤモンド鉱山を守る事や、コンゴのそれらのダイアモンドや銅や金などの地下資源の狙いの理由もあった。コンゴに軍隊を送り、これに反対する運動がコンゴの都市部を中心に活発に起き、派兵直後にカビラ大統領は暗殺されるなどコンゴ派兵は混乱を招いた。ムガベ大統領はコンゴ内戦への派兵に専念していったため、ジンバブエの経済や医療、教育などが悪化していった。 そのためムガベ大統領への批判が相次ぎ、ムガベ大統領は批判を避ける目的で白人農場を強制収用する政策にすり替えていった。 [編集] 白人大農場の強制収用ムガベははじめは黒人と白人の融和政策を進め[1] 、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された[1]。この結果、白人の持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後世界最悪とも言われるインフレーションが発生した。こうした経済混乱に、長期政権・一党支配に対する不満とあいまって治安の悪化も問題となっている。また、言論の統制などの強権的な政策は外国や人権団体などから批判を受けている。 2005年5月には「ムラムバツビナ作戦」によって地方の貧しい都市地域および周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い[2]、さらには2007年3月11日、警察によって活動家ギフト・タンダレが暗殺されている[3]。女性差別は依然存在するばかりか激しさを増しており、女性活動家の行動はおろか生活すらも統制され、トウモロコシを穀物流通公社に売ることさえもできなくなっている[4]。 ローデシア共和国初代首相であったイアン・スミスは、政界復帰を狙っていると伝えられていたが、2007年11月20日に南アフリカ共和国・ケープタウンの自宅で心不全により88歳で死去した。 2008年3月29日より大統領選挙が始まり、現職の与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線のムガベ大統領他、与党から造反したシンバ・マコニ元財務相と最大野党の民主変革運動のモーガン・ツァンギライ議長が立候補していたが、ムガベ政権からの弾圧によりツァンギライ議長は出馬の取り止めを余儀なくされた。これにより、ムガベ大統領は欧米からの決選投票延期要請を無視し、投票を強行、勝利したと宣言した。 [編集] 政治野党勢力への迫害が強く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが常態化している。事実上、ムガベ大統領の独裁政治体制が続いている。 2008年6月の大統領選挙においても国連から公正な選挙がなされておらず、不正選挙にて大統領が選出され非難声明が出されている。国連の介入の議論がされたが、ロシアと中国が拒否権を行使し否決された。 [編集] 国外メディアの報道規制国内では報道規制が厳しく、CNN・BBCをはじめ国外のマスコミの取材が禁止されている。 [編集] 地方行政区分詳細はジンバブエの行政区画を参照
[編集] 地理アフリカ南部に位置し、モザンビーク、南アフリカ、ボツワナ、ザンビアと国境を接する。ザンビア国境にはヴィクトリア滝が位置する。内陸国であり海岸線をもたない。座標は東経30度・南緯20度のあたり。 面積は390,580 km²、うち陸地面積が 386,670 km²、内水面面積が 3,910 km²を占める。 気候は熱帯性であるが、高度のためやや温暖である。雨季は11月から3月にかけて続く。 地形は中央高地をもつ高原が大部分を占める。国の東部は山岳地帯である。 国内最低地点はルンデ川とサヴェ川の合流地点で標高162 m、最高地点はインヤンガリで標高2,592 m。 石炭、クロム鉱石、アスベスト、金、ニッケル、銅、鉄鉱石、バナジウム、リチウム、錫、プラチナ族金属を産する。 [編集] 経済通貨はジンバブエ・ドル(ZWD)。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ[5]。世界で最もインフレが激しく、2008年5月に1億と2億5000万の額面のジンバブエ・ドル札が発行された後も、50億、250億、500億ドル札の発行と続き、7月には1000億ドル札の発行が行われた。そのため、コンピュータの処理にトラブルが発生していることから、中央銀行はデノミネーションを実施し、大幅な通貨単位の引き下げを実施することが決定した(1000億ドル紙幣が10ドルとなるレベル)。それに対応した新紙幣を8月1日から発行することも正式に決定している。 詳細はジンバブエ・ドルを参照 かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済であった。特に、白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われていた。外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国で、かつては「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった、[1]。 しかし白人農家に対する強制土地収用政策の開始後、ノウハウを持つ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊、[1]により、農作物の収量は激減。基幹産業の農業の崩壊によって生じた外貨不足は、さらに部品を輸入で調達していた工業にも打撃を与え、経済は極度に悪化した[1]。経済成長率は-12.1%(2002年)を記録し、経済システムは崩壊した。 さらに旱魃により食糧不足が深刻化し、飢饉となっている。このことが影響し、2003年末には600%のインフレが発生。2006年4月には1,000%以上に達した[6]。2008年7月16日ジンバブエの中央銀行総裁は年間インフレ率が220万%に達したという発表をしている。 しかし、実態のインフレ率は更に高いと推測され1日に3回食料価格が値上がりしている。同年に発行された最高額紙幣の500億ジンバブエ・ドルは闇レートですら200円程度の価値しかないという。これは事実上ジンバブエ共和国の経済が崩壊している事を意味している [7]。いずれにせよ第二次世界大戦後(厳密にはハンガリーで第二次世界大戦を契機として発生したインフレが、1946年にこれを遙かに上回るインフレ率を記録しているため、1947年以降)としては、ワーストのインフレ率を更新して行くのは確実である。 最近は、中華人民共和国との経済関係を強化しているが、2007年8月23日ジンバブエ政府が国内の外資系企業に対して株式の過半数を「ジンバブエの黒人」に譲渡するよう義務付ける法案を国会に提出、9月26日に通過した。これにより経済の崩壊が決定的になると見られる[8]。 [編集] 国民民族構成は、ショナ人が71%、ンデベレ人が16%、その他のアフリカ系が11%、残りはヨーロッパ人やアジア人などである。 言語は、英語が公用語で、ショナ語、北ンデベレ語などが主に使われる。 宗教は、キリスト教と部族宗教の混合が50%、キリスト教が25%、部族宗教が24%、イスラム教などが1%となっている。 国民の約3割がエイズに感染しているといわれており、世界保健機関(WHO)の2006年版の「世界保健報告」によると、平均寿命は36歳と世界で最も短い(1990年の時点では62歳であった)。 プロゴルファーのニック・プライスや競泳のカースティ・コベントリー(アテネ五輪女子200m背泳ぎ金メダリスト)はこの国の選手である。 [編集] 文化[編集] 祝祭日
[編集] 註・参考文献
[編集] 外部リンク
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