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ジョージ・H・W・ブッシュ
ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George Herbert Walker Bush, 1924年6月12日 - )は、アメリカ合衆国の第43代副大統領および第41代大統領(1989年-1993年)。日本では、第43代大統領でありファーストネームが同じである長男のジョージ・ウォーカー・ブッシュと区別するために「パパ・ブッシュ」と呼ばれることもある。身長188cm。血液型はA型。
[編集] 人物・来歴
ベーブ・ルース(左)とジョージ・H・W・ブッシュ
ジョージ・ブッシュは、プレスコット・ブッシュとドロシー・ウォーカー夫妻の息子として生まれた。父親はコネチカット州のリベラルな共和党上院議員で、著名な投資銀行「ブラウン・ブラザース・ハリマン」に在籍していた。 ブッシュは高校卒業後、国への義務を果たすべく海軍に志願する。彼は第二次世界大戦における最も若い海軍艦上攻撃機パイロットだった。1942年より太平洋戦線に従軍しており、少尉時代の1944年マリアナ沖海戦では日本機の銃撃によって、中尉時代の1944年9月2日には小笠原諸島沖で父島地上砲台の対空砲火を浴びて乗機アベンジャーを撃墜されているが、いずれも味方に救助され生還している。二度目の際には敵地近くであり、同乗していたウィリアム・ホワイトとジョン・デラニーは戦死し自身も捕虜になる危機を迎えたが当時9度目の哨戒任務で同海域にいたガトー級潜水艦フィンバックに救助され、その後しばらくフィンバックで勤務した。後に航空殊勲十字章などいくつかの勲章を受章した。その後大尉にまで昇進し退役。エール大学に進学し、4年次には有名なクラブに所属している。 1945年1月6日にバーバラ・ピアスと結婚し、6人の子供をもうけた。
父親の上院議員職、長男ジョージ・W・ブッシュのテキサス州知事および大統領、三男ジェブ・ブッシュのフロリダ州知事などの政治的な成功で、ブッシュ家は王朝としてなぞらえられ、ジョン・アダムズおよびケネディ家のそれと比較された。 [編集] 政治経歴1964年にブッシュは、テキサスの共和党員ジョン・タワー上院議員を含む南部の政治家のほとんどが反対した公民権法に賛成した民主党の上院議員ラルフ・ヤーボローに対抗して上院議員選に出馬し、政界に乗り出した。ヤーボローがブッシュを「ちょうど彼らがニューヨーク証券取引所の席を買ったように」上院議員の席を買おうとする「渡り政治屋」であると批判したことに対し、ブッシュはヤーボローを「極論者」および「左翼扇動政治家」と呼んで対抗したが、ブッシュは1964年の民主党の地滑り勝利により敗北を喫した。 ブッシュは1966年と1968年の終わりにテキサスの第7区から下院議員に選任された。彼はその後1970年に、民主党の予備選挙でヤーボローを破ったロイド・ベンツェンに、二度目の上院議員選挙で敗れた。ブッシュは70年代を通してリチャード・ニクソンおよびジェラルド・フォード大統領の下で、共和党全国委員会議長、アメリカ国連大使、中華人民共和国への特命全権公使(米中連絡事務所長)、CIA長官(1976年1月30日 – 1977年1月20日)、危機委員会評議員などの要職を歴任した。 1980年に彼は共和党の大統領指名を争う予備選に出馬する。そこで彼はレーガンの経済政策を「おまじない経済学」と批判したものの、結局は指名を得ることに失敗。党大会直前に、レーガンに副大統領候補として指名され、1981年に副大統領に就任する。 ブッシュはレーガンと予備選挙の時こそ対立したものの、副大統領としてはレーガンに忠実に仕えた。レーガンも銃撃事件をきっかけにブッシュの謙虚な人格を信頼するようになった。 ブッシュは外交・安全保障に並々ならぬ関心をもった副大統領であった。 [編集] 1988年の大統領選挙二期にわたって副大統領を務めた後、満を持して出馬した1988年の大統領選では、マサチューセッツ州知事・マイケル・デュカキスに地滑り的な大勝をおさめた。在任中の副大統領としてはマーティン・ヴァンビューレン以来144年ぶり四人目、二期目を務めている最中の副大統領としては実にジョン・アダムズ以来192年ぶり二人目の大統領当選者で、「副大統領は長く務めるほど大統領選が不利になる」というジンクスを覆した。 → 詳細は「1988年の大統領選挙」の項を参照。 [編集] 大統領1989年第41代大統領に就任したブッシュが最初に取り組んだのは国内における麻薬の浄化であった。彼はその一環として中南米で麻薬交易の中継となっているパナマのマヌエル・ノリエガ政権に対する侵攻を決意する(パナマ侵攻)。12月、2万4千人の米軍の侵攻によりノリエガは逃亡するが、翌年1月に逮捕されアメリカ国内で40年の禁固刑を受けた。 ブッシュはアメリカの大統領として、湾岸戦争で国際連合をリードしたことで最もよく知られている。ただしイラクのクウェート侵攻前夜には既にその兆候を掴んでおり、あえてフセインの侵攻を容認した説も存在する。サッダーム・フセインの率いるイラク軍が1990年に隣国クウェートへ突如侵攻すると、国連はイラクの侵略行為を非難する決議を発表。米軍を主とする多国籍軍はクウェートからイラク軍を撃退し、サウジアラビアの防衛を保証した。軍事行動の成功直後ブッシュの支持率は急上昇した。しかしその後、アメリカの景気は後退していった。 1990年7月から1991年3月までの穏やかな景気後退は1992年の大統領選挙での彼の敗北の要因だった。別の主な要因は、ロス・ペローの立候補だった。ペローが一般投票の19%をも得票したことがビル・クリントンの勝利に寄与することとなった。 [編集] 1992年の大統領選挙再選をかけた1992年の大統領選ではアーカンソー州知事のビル・クリントンに惜敗、現職大統領としては1976年のフォード、1980年のカーター、に続いて戦後三人目の不名誉な敗北となった。 → 詳細は「1992年の大統領選挙」の項を参照。 [編集] 政界引退後大統領選挙での敗北後、ブッシュは慣例にしたがって政治活動から引退した。特に息子がテキサス州の知事となり、共和党の有力な大統領候補として頭角を現すようになってからは、その妨げとならないよう、他の退任した大統領よりも増して公の場には極力姿を表さないよう心がけていた。 そのブッシュを公の席に「引っぱり出した」のが、意外にもビル・クリントンだった。クリントンは自らの退任後、同じ「元大統領」としてブッシュをさまざまな非政治的な式典や被災地の慰問などに誘った。そうしたことから両者の仲は極めて親密なものとなり、その関係は相互の家庭を時折訪問するほどまでになった。息子の嫁のローラ夫人はその仲よしぶりを「うちの家族にはミスタープレジデントが三人もいるんですよ」と評したこともある。 ブッシュは一期限りの大統領だったが、任期中に大統領の名を汚すようなスキャンダルには一切見舞われなかったことから、退任後はその名がさまざまな施設や艦船につけられることになった(逆に揉み消しスキャンダルで辞任したニクソンや、セックススキャンダルが弾劾審理にまで発展したクリントンの名は忌避される傾向にある)。1997年には地元テキサス州ヒューストンの空港が「ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港」と改名され、2002年にはニミッツ級航空母艦の10番艦が「ジョージ・H・W・ブッシュ」と命名されることになった。存命中の元大統領の名前が合衆国海軍の艦船に冠せられるのは、カーター、レーガンに続き史上3人目。 [編集] 逸話[編集] 訪日時の事件1992年1月7日に来日した際、最初に京都御所を見学し、その場で行われていた蹴鞠に飛び入りで参加した。翌日、今上天皇(明仁)と2回テニスのダブルスで対戦しているが、2回ともブッシュ側が負けている。その日の宮澤喜一総理大臣主催の晩餐会の最中、突然椅子から崩れるように倒れ、その様子は世界中のマスメディアがトップニュースとして報道した。バーバラ・ブッシュ夫人がとっさの機転で「ブッシュ家は負けることに慣れていないのです」とジョークを飛ばし、その場を救った。日本政府は、慶應義塾大学病院を手配したが、アメリカ側は、ただのインフルエンザに過ぎないからとこれを受諾せず、アメリカ大使館の医務官が対応した。 [編集] ブロッコリー嫌い大のブロッコリー嫌いで知られており、大統領専用機の機内食のメニューからブロッコリーを削除した。また、「ブロッコリーは嫌い。二度と食べない。ポーランド市民がソ連と闘ったように私もブロッコリーと闘う」と発言したことに怒ったブロッコリー農家から、大量のブロッコリーを送りつけられたことがある。 [編集] 撃墜体験太平洋戦争で撃墜された愛機の名前は後の妻の名前である“バーバラ”だった。ちなみに撃墜された後、3日間、太平洋をひとりぼっちで漂流し他の4人のパイロットとともにフィンバックに救助された。なお、このとき他にも4機の米軍機が撃墜されたが、8人の米軍兵士が捕虜として日本兵により人肉食されていたことが戦後の裁判で明らかになり、日本国民はその事実に驚愕することになる。この小笠原事件は、ブッシュの対日観に長いこと影を落としたといわれている。 [編集] 内閣
北米自由貿易協定調印、1992年10月
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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