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サンフランシスコ
サンフランシスコ(San Francisco)は、アメリカ合衆国西海岸にある、カリフォルニア州の北部に位置する都市であり、北米を代表する世界都市である。
[編集] 概要キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来である。漢字では、桑港や旧金山と表記される。桑港は、「サンフランシスコ」を音訳した「桑方西斯哥」(現代中国語普通話ではSāngfāngxīsīgē(サンファンシースーコー)の発音になる)の頭文字「桑」(サン)に、港町である事を示す「港」を加えたものである。この漢字表記は、現地の日系社会でも使われるため、商店や日本語学校などの名称によく見られる。一方の旧金山は、1849年に起こったゴールドラッシュにちなんだ名称である(「新金山」はメルボルンを指す)。 日本では、特に(航空機での渡航の対象として)「シスコ」の愛称・略称で呼ばれることも多い。アメリカでは頭文字の「SF」や「フリスコ」、または「サンフラン」(San-Fran)との愛称・略称で呼ばれることが主である。 ロサンゼルスと共にカリフォルニア経済、金融、工業の中心地として知られる。サンフランシスコ自体の人口は約75万人(2004年)だが、対岸のオークランド、南岸のサンノゼなど計9郡によるサンフランシスコ・ベイエリアの人口は約700万人にも上る。それゆえに大規模なダウンタウンが形成されており、近代的なビルが建ち並ぶ。シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。 サンフランシスコの気候は地中海性気候に属し、一年中気温の差があまり無く、気候的にも住みやすい都市である。急な坂や深い霧に覆われる場合が多いことでも有名である。都市部から13マイルほど南下すると、サンフランシスコ国際空港がある。 観光地としての評価も非常に高い都市であり、外国人のみならず、アメリカ人の間でも訪れたい都市の上位にランクされている。有名な観光スポットとしてゴールデンゲートブリッジ(金門橋)やフィッシャーマンズワーフ、ツインピークス等が挙げられる。市内を走る伝統あるケーブルカーも人気が高い。 [編集] 歴史サンフランシスコは現在のミッション地区、ヤーバブエナという町が発祥である。1776年にサンディエゴから陸路を北上してきたスペイン探検隊が、天然の良港であったサンフランシスコ湾とゴールデンゲート海峡を発見し、その湾の入口に砦をきずいて集落を形成した。その後、神父セラはカトリック伝道所を設けた。1821年のメキシコの独立によってその領土となり、対メキシコ、対アジア貿易の拠点、また捕鯨基地として発展した。1846年、アメリカ合衆国はこの町をメキシコから取得し、1847年にサンフランシスコと改称した。そして1848年、シエラネバダ山脈で金鉱脈を発見、ゴールドラッシュによって急成長した。ゴールドラッシュ以前の1848年の人口は800人だったが、ゴールドラッシュの起こった1849年を境に急速に人口が増え、1860年には6万人に至った。その後、港湾都市、物資の集散地として、合衆国西部の商業、行政、文化の中心地となる一方、非常に多様な人種構成と、バーバリー・コースト地区に代表される治安の悪さでも有名になった。 1869年には大陸横断鉄道が開通、その拠点として重要性を持ち、同時にアジアから多くの移民が訪れた。まずは中国人、そして日本人も多く入植し、1891年に全米初の日本人会が結成された。それに伴い、多くの移民街が誕生する。 しかし、1906年4月18日にマグニチュード7.6のサンフランシスコ大地震が市街地を襲った。3日間にわたる火災が発生し、ダウンタウン全域と住宅地域のほとんどが壊滅した。復興の旗印として「フェニックス」を掲げ、新たな都市開発に取り組んでその後急速に復旧した。1914年にはパナマ運河の開通により、拠点性を増大させ、都市飛躍の一歩となった。対岸のオークランドとを結ぶ主要橋梁の建設に乗り出し、1937年には市のシンボルでもあるゴールデンゲートブリッジ(金門橋)が完成、今日では7本の橋が市街地を結び、また海底トンネルも都市連結の役割を果たしている。 第二次世界大戦時、サンフランシスコは造船業の中心地となった。カリフォルニア州北部の中心都市として重要な地位を占め、大発展を遂げた。1951年には、サンフランシスコで、日本との講和条約が結ばれた。1960年代頃から主要産業であった製造業に陰りが見え始めるが、代わりに登場したサンノゼ一帯のシリコンバレーの発展により、IT関連企業を輩出、地位を回復し、大規模な近代的ビルの建設がすすんで活況を呈して今日に至る。また、50年代にはビート・ジェネレーション、60年代にはヒッピーの集う地であり、70年代に入り同性愛者(性的少数者)の市民権獲得のための運動がいち早くおこるなど、新しい価値観を生みだす拠点ともなっている。1989年には大地震に再び見舞われ、大きな被害を受けたものの、現在サンフランシスコは全米の大都市の中でも治安に優れ、優れた計画都市としても知られ、常に住みたい都市のトップクラスにエントリーしている。 坂の多い土地柄を背景に、1873年にはケーブルカーが営業を開始し、今日でも市民の重要な足となっていると共に、観光客を惹き付ける魅力の一つにもなっている。 [編集] 地理カリフォルニア州の北部に位置し、北緯38度、西経122度5分にある。気候は温暖で、夏に降雨が少なく、区分ではCs(地中海性気候)に分類される。市街地はサンフランシスコ湾口の南岸にあたり、サンフランシスコ半島の先端に位置する。東の対岸にオークランドやバークレー、サンフランシスコ湾奥の南岸にサンノゼがある。平野部は少なく、急峻な丘陵地や窪地が多く、いわば小樽や尾道のような、後背地が狭い古い港町の都市成立様式である。都市圏人口は約700万人だが、他の都市圏のように土地が豊富でないため、爆発的な人口増加はあまり見られない。100㎞北東方に州都のサクラメントがある。 アメリカ合衆国統計局によると、この都市と郡は総面積600.7km²(231.9 mi²)である。このうち120.9 km²(46.7 mi²)が陸地で479.7 km²(185.2 mi²)が水地域である。総面積の79.86%が水地域となる。 この都市の地理的な中心地は、アルバラド(Alvarado)と23番ストリートの間のグランドビュー・アベニュー(Grandview Avenue)の東側である。 1月の最低気温の平均は46°F(8°C)で、最高気温の平均は58°F(14°C)。8月の最低気温の平均は56°F(13°C)で、最高気温の平均は72°F(22°C)。平均56.6cmの降水量を記録している。 沖合を流れる寒流の影響で霧に覆われることも多く、夏でも肌寒いことが多い。 [編集] 人口動勢2000年現在の国勢調査2で、この都市は人口776,733人、329,700世帯及び145,068家族が暮らしている。人口密度は合衆国内で2番目の密集都市(および5番目の密集郡)である、6,423.2/km²(16,634.4/mi²)[1]。2,865.6/km²(7,421.2/mi²)の平均的な密度に346,527軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は白人49.66%、アフリカン・アメリカン7.79%、先住民0.45%、アジア30.84%、太平洋諸島系0.49%、その他の人種6.48%、混血4.28%である。人口の14.10%はヒスパニックまたはラテン系である。 民族構成は中華系19.6%、アイルランド系8.8%、ドイツ系7.7%、及びWASP6.1%である。サンフランシスコはアメリカ合衆国内で最大の中華系人口でありハワイ州以外で最大のアジア系人口を持っている。リッチモンド内のGeary ブルーバードは栄えたロシア系コミュニティーの本拠地となっている。 329,700世帯のうち、16.6%が18歳未満の子供と一緒に生活しており、31.6%は夫婦で生活している。8.9%は未婚の女性が世帯主であり、56.0%は結婚していない。38.6%は1人以上の独身の居住者が住んでおり、9.8%は65歳以上で独身である。1世帯の平均人数は2.30人であり、結婚している家庭の場合は3.22人である。 住民は14.5%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が9.1%、25歳以上44歳以下が40.5%、45歳以上64歳以下が22.3%、および65歳以上が13.7%にわたっている。中央値年齢は36歳である。女性100人ごとに対して男性は103.4人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は103.1人である。 世帯ごとの平均的な収入は55,221米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は63,545米ドルである。男性は46,260米ドルに対して女性は40,049米ドルの平均的な収入がある。一人当たりの収入は34,556米ドルである。人口の11.3%及び世帯の7.8% は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の13.5%及び65歳以上の10.5%は貧困線以下の生活を送っている。 [編集] 交通[編集] 空路[編集] 道路サンフランシスコは水路に遮られているために、通過する道路は少ない。主要な高速道路としては、ベイブリッジのサンフランシスコ側を基点としてベイブリッジを渡り東に伸びる州間高速道路80号線(I-80)、サンフランシスコ中心街から南に延びるインターステート280号線、中心街から南部と北部に延びる国道101号線がある。 [編集] 都市公共交通
サンフランシスコのケーブルカー
[編集] 長距離鉄道路線サンフランシスコ湾をはさんだ対岸のオークランドからアムトラックの列車が発着している。
[編集] 教育、文化及びスポーツ多様な文化が融合していることで知られ、自由な空気に包まれている印象がある。1950年代にはビートニク、1960年代にはヒッピーといわれる人々が流行し、世を席捲した。 現在では、中心部のカストロ・ストリートを中心とした世界最大のゲイコミュニティがある街としても知られ、毎年6月には「プライド」と称したパレードやイベントが開催される。 [編集] 大学
[編集] 美術館とパフォーミング・アーツ
[編集] スポーツ
[編集] 友好姉妹都市サンフランシスコはSister Cities International, Inc. (SCI) によって指定された、14の姉妹都市を有している: [編集] 市歌元はポピュラーソングや映画主題歌であった2曲が制定されている。
[編集] ジャパンタウンJapantown, (日本町, Little Osaka, J town)サンフランシスコの Western Addition にある6平方ブロックの地域。日本や韓国、中華のレストラン、スーパーマーケット、ショッピングモール、ホテル、銀行、紀伊國屋書店の支店など多数の店がある。Post Street が大通りで、中心には1968年開設の Japan Center(3つの日系ショッピングセンターと Peace Pagoda がある)がある。パゴダは大阪の人々によって寄贈された。 カリフォルニア州最大の日本町で、唯一の第二次世界大戦前からある日本町。日本の真珠湾攻撃後、アメリカ政府は日系アメリカ人を強制収容所に収容した(日系人の強制収容)。その後軍需産業を探しに来たアフリカ系アメリカ人が居住した。戦後一部の日本人は戻り地域の再復興を行った、1960年代から1980年代の大規模な再開発の時期に、多くのアフリカ系アメリカ人は今日の居住地、西部 Filmore District、東部 Tenderloin、南部 Hunters Point に移動した。同時に多くの日系アメリカ人は戻り、新日本移民の移住、日本政府、企業による投資が行われた。 [編集] 同市出身のアーティスト
[編集] 同市を舞台とした作品[編集] 映画
[編集] ドラマ
[編集] その他
[編集] 関連項目[編集] 外部リンク[編集] 公式
[編集] 日系機関[編集] 観光
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